この世界はとっても怖いの
         違う世界にゆきたいの
         ずっとそう思うの
         新しい世界にゆけたら
         きっと幸せになれるの
         ずっとそう信じてるの

         「見てごらん、ペン。
          世界はこんなに美しいんだよ
――

 新しい世界〜そうして 幸せになる〜


         どこからきたのか わからない
         どこへゆくのか わからない


生まれて初めて見たのは、巨大な「何か」だった。
(なんだろう、これ?)
実は人間の足だったりするのだが、生まれて10秒のペンにそんなことは分からない。
上に伸びている「それ」を追って、目線をあげていく。
だが、「それ」はとんでもなく長かった。
ペンには首がないため、そっくり返って見上げることはできない。
向けるだけ上を向いたが、まだ「それ」に終わりはなかった。
(どこまでつづいているのかなぁ……)
ペンの世界からは、「それ」の頂上は見えなかった。
「おやまあ、孵っちまったよ!!」
いきなり耳をつんざく大音声が真上から降ってきて、ペンはびっくりして文字通り飛びあがった。
「ピッ!?」
「いやだよ、ゆで卵にするつもりだったのに……。
 しかし、なんだいこりゃ、ペンギンかい?
 ペンギンが卵を産むとはねぇ」
轟くような大声に、ペンはびくびくして後ろに下がる。
すると、ふいに陰が落ちてにゅっと何かが降ってきた。
人間が手を伸ばしたのだが、ペンには巨大な物体が落ちてくると感じる。
(つぶされちゃう!!)
恐怖に小さな心臓をどきどきさせて、一生懸命に逃げる。
だが、なぜかその物体は後を追ってきた。
「クピッ、ピギ〜ッ!!」
巨大な動く物体は、全速力で逃げまわるペンをあざ笑うかのようにゆっくりと近づいてくる。
ペンが最初に見た「それ」が動くたびに、ズシンズシンと地響きが伝わってきて、ペンの動きを困難にさせる。
「ああもうっ、ちょろちょろおしでないよ!!」
先程よりもはるかに大きな、しかも苛立った声が聞こえて、ペンは絶望に目の前が真っ暗になった。
(こわい……ボクはどうなるの?
 なんでこんなところにいるの?)
わからない、なにも。
こわい、こわい
――!!
恐怖にポロポロと涙をこぼしながら、ペンは必死に逃げる。
ふいに眩しい光が見えて、迷わずそこから外へ飛び出した。
後ろから呪うような声が聞こえる。
「逃がしちまったよ!!
 珍しそうだから、高く売りつけようと思ったのにさ」
何を言ってるのか分からなかったが、とにかくペンは怖くて怖くて、ふり向きもせずに一目散に走り去った。


        どこからきたのか わからないの
        どこへゆくのか わからないの

        どこへゆくのか わからないのなら
        ボクは 新しい世界にゆきたいの


あれから2週間後、ペンはどこかの町外れの木の根元にいた。
無我夢中で走り続けて、気づいたらそこにいた。
だが、ペンの恐怖は去らなかった。
あの時と同じ巨大な動く物体は、世界にたくさん巣くっていた。
小さなペンからは足の膝までしか見えないその巨大な生き物は、我が物顔で自分勝手に動き回り、ペンの世界を簡単に恐怖に染める。
ズシンズシンと伝わってくるその足の震動が怖い。
雷が落ちるようなその声が怖い。
ペンが逆立ちしたってかなわないその巨大さが怖い。
生まれてから2週間の間にペンが知ったのは、自分がとても無力でちっぽけなこと。
大地は広く、空ははるか高く、巨人のただの1歩が自分にとってはとても遠いということ。
自分よりも広く高く、大きく遠いものばかり。
それが、今のペンの世界。
そして、自分の言葉を理解してくれる生き物はおらず、ペンはこの怖い世界に独りぼっち……。
ペンは木の根元に隠れるようにして、ぶるぶると震える。
(ボクはどこからきたのかな。
 ぼくのなかまはどこにいるのかなぁ……)
きっとどこかにいるはず、自分と同じ形をして、言葉が通じる仲間。
ペンはころんと寝転がった。
木の枝も葉もとても高くて、青空はもっともっと高い。
ペンには手が届かないところ。
ペンは木のてっぺんを見つめた。
(あそこにいけたら、違う世界にいけるの?)
新しい世界はあるのだろうか。
仲間はいるのだろうか。
でも、ペンは木を登れない。
ペンは空を飛べない
――
ペンはため息をつく。
「クピー……。
 (いきたいなぁ)」
「どこに?」
「クピッ。
 (新しい世界に)」
「新しい世界?」
「ピギー。
 (どこにあるのかなぁ)」
「君、名前なんていうの?」
「クケッ?
 (なまえ……?)」
そんな言葉は知らなかった。
そこで、やっとペンは知らぬうちに誰かと話していたことに気づく。
驚いて飛び起き、慌てて声のする方を向く。
そこに、巨人がいた。
近くにいるので、腰のあたりまでしか見えない。
確かに巨人。
でも何かが違う。
ズシンと響くあの足音を感じなかった。
耳がつぶれそうなあの大声も聞こえなかった。
おかしいなぁ、とペンは不思議に思う。
人間は普通に話しているつもりでも、小さいペンにはそれがひどく大きな声に聞こえる。
それなのに、この巨人の声はペンには普通に聞こえた。
小さなペンを意識して、声を抑えてくれたのだろうか。
それは、生まれて初めてのこと。
そう、それにこの巨人はペンの言葉を理解してくれる。
(いつものおっきいのとはちがう?)
そう思いつつ、それでも過去の体験から怯えて震えが走るのを止められなかった。
「どうしたの?」
巨人が1歩踏み出し、ペンに近づく。
迫られる圧迫感に、ペンがびくっと飛びあがって後ずさる。
すると、巨人はゆっくりと数歩下がった。
その時も、地震のような足音は感じなかった。
未だびくびく怯えるペンの前で、巨人はことさらゆっくりとした動きで地に膝をつく。
「何もしないから大丈夫。
 怖がらなくていいんだよ」
優しい声に、ペンの身体から緊張がとれる。
膝をついてはくれたが、まだ顔は見えない。
(どんなかおをしてるのかな?)
この、自分の言葉を理解する不思議な巨人は……。
「君の名前は?」
「クケッ?
 (なまえ?)」
「名前がない……知らないの?
 名前というのはね、その者のためだけにある美しい言葉だよ」
「クピピ……。
 (ボクにはないの?)」
「名前は誰にでも授けられるものだよ。
 うーん……君はペンギンに似てるから、『ペン』って呼ぼうか。
 そう呼んでもいい?」
「クピッ?
 (『ペン』?)」
「そう、君の名前。
 君のためだけの、美しい言葉」
(ボクのためだけのことば
――なまえ?)
ペンは目をパチパチさせた。
「ねえ、ペンはどうして新しい世界に行きたいの?」
「クケケッ。
 (この世界がイヤだから、違う世界にいきたいの)」
「どうして嫌なの?」
「クピ、クピクピッ。
 (この世界はとってもこわいの。
  おおきないきものにおどかされるの)」
「大きな生き物って……私たちのこと?」
「ピギー、ピギッ。
 (だって、じめんをゆらしたりおっきなおとをたてたりするもん。
  ふみつけられそうでこわいの……)」
そう言って、ペンはポロポロと涙を流す。
「クピー……。
 (違う世界にいきたいの。
  そこでしあわせになるの)
「そんなに今の世界にはいたくないの?」
ペンは手をバタバタさせて肯定する。
「それなら、私が連れていってあげるよ」
「ピッ?」
「新しい世界に連れていってあげる。
 ……見たい?」
「クピクピッ」
「じゃあ、目を閉じていて」
言われ、ペンは素直に目を閉じる。
話しているうちに、恐怖も怯えも消え去っていた。
この巨人の穏やかな雰囲気がそうさせたのかもしれない。
しばらく待っていると、草を踏む音が聞こえ、巨人が近づいてきているのに気づいた。
びっくりして目を開けようとするペンを、すかさず巨人が制する。
「駄目だよ、新しい世界が逃げちゃう」
その言葉に、開きかけた目を閉じる。
ふわっと何かにくるまれたと思うと、いきなり平行感覚がなくなった。
「ピッ!?」
「揺れるけど、ちょっと我慢しててね」
どうやら巨人に持ち上げられて、どこかに運ばれているらしい。
どこかへ……新しい世界へ
――
(どんなところかなぁ)
新しい世界は……。
見たことがないところ?
夢のようなところ?
今とは全然違うところ?
きっとその全て。
(そこにはなにがあるのかな)
美しいもの?
綺麗なもの?
素敵なもの?
そこに幸せはある?
目を閉じてわくわくしているペンを抱え、巨人はどこかへ向かってゆく。
ペンを新しい世界へ連れてゆく。
やがて、ペンに平行感覚が戻った。
巨人が止まったのだろう。
(新しい世界にきたの?)
とうとうたどりついたの?
「さあペン、目を開けていいよ」
促され、そうっとまぶたを上げていく。
「クピィッ……」
目の前に広がる光景に歓声を上げる。
ペンは木の上にいた。
見上げるだけだった木のてっぺんにいて、枝に腰掛ける巨人の膝の上に座っていた。
落ちないように赤いマントにくるまれて、巨人にしっかりと抱えられている。
そうして、ペンは新しい世界にいた。
「クピッ、クケクケーッ!!
 (すごい、ボク新しい世界にいるよ!!)」
大地が続く
――足元からどこまでも。
おもちゃみたいな木箱が、長い道の上を動いている。
「クケッ?
 (あれなに?
  くろいものだしてるの)」
「ああ、あれは汽車っていうんだよ。
 私たちが乗るものなんだ」
(このおっきいひとたちがのるの?
 あははっ、でもあんなにちっちゃいや)
ペンよりも全然ちっぽけな乗り物。
走るスピードだってすごく遅い。
さっきからちっとも進んでやしない。
ペンは道の先を見て、そしてびっくりする。
「クケクッ!!
 (あぶないよ、あのきしゃおちちゃう!!
  あながあいてるもの)」
道は途中で途切れていた。
いや、道どころか、壮大な大地までもがなくなっている。
「大丈夫だよ。
 あれは地平線っていってね、今のペンの世界の果てなんだよ。
 ペンの世界では終わりでも、他の世界ではちゃんと続いてる。
 あの途切れた向こうにも、大地は広がっているんだ」
「クピッ?
 (どこまで広がっているの?)」
「望む限り、どこまでも」
その答えにペンは笑う。
そう、どんな世界だって創れる。
心に望めばいい。
ペンは空を見上げた。
すいこまれそうな青空は、はるか足元の大地よりも近く感じた。
昔の世界では目の前は大地だったのに、今は空が見えて、ずーっと遠くの眼下に地平線がある。
なんて遠くまで見渡せる世界だろう。
(ボク、おそらにいるみたい)
ペンは手をバタバタさせてはしゃいだ。
そう、ここはまぎれもなく新しい世界。
今まで見たことなくって、夢のようで、とっても素敵なところ。
「クケクケッ。
 (ボク、ずぅっとこの世界にいたいの)」
「ペン……そうじゃないよ」
「クピ?」
「ペンは今も、同じ世界にいるんだよ」
「ピギー……。
 (ボク、新しい世界にいけないの?)」
たちまちしゅーんとなるペン。
今にもつぶらな瞳から涙をこぼしそうな様子に、巨人は慌てて「そういう意味じゃないんだ」と言って、ひょいっとペンを抱き上げて目を合わせる。
視界に飛び込んできた緑色に、ペンの意識は吸い寄せられた。
(なんてきれいなんだろう
――
瑞々しく、すき通った緑……。
透明な緑色だなんておかしな色だけれど、でもそんな感じ。
瞳の底まで見えそうなくらいすき通っていて、でもとってもあざやかな色。
ペンが生まれてから今までで、いちばん綺麗なもの。
その瞳で、どんな世界を見ているの?
惹きつけられたペンは、悲しみも忘れて魅入った。
そんなペンに気づいているのかいないのか、巨人は話を続ける。
「ペン、確かにここは新しい世界かもしれない。
 でもね、君は今までここで生きてきたんだよ」
「ピッ?
 (ここで?)」
「そう、そしてこれからもここで生きていく。
 この大地と空がある、この世界でね。
 前の世界も新しい世界も、元はひとつの世界なんだよ」
(ひとつの世界……ボクが生きてきたところ)
足下を見る。
確かにそこで生きていた。
全てが大きく狭かった世界があそこにはある。
そして、新しい世界
――
全てがとても小さくて、でもはるかに雄大な世界。
全てが等しく、全てがひとつになった世界。
その中で、ペンは変わらず生きている。
同じ大地の上で。
同じ空の下で。
「クピクピ?
 (ボクは違う世界にきたんじゃないの?
  それなら、これからもずっとしあわせになれない……?)」
「そんなことないさ。
 見てごらん、ペン」
再び膝の上に座らせてもらい、前を向く。
そこには、あの美しい世界。
新しい
――でも、ペンが今までいた世界。
「悲しまなくてもいいんだよ。
 どうして悲しむ必要があるの?
 世界はこんなに美しいのに」
「クケッ。
 (ボクがいた世界も?)」
「そうだよ、だって同じ世界なんだから。
 もう前の世界を嫌わなくてもいい。
 世界は怖いだけじゃない。
 だって、ほら……見てごらん、ペン。
 世界はこんなに美しいんだよ
――
ペンは世界を見つめた。
たったひとつ、ペンの世界。
ペンが見る、ペンにしか見えない、ペンだけの世界。
前と、同じところ。
でもとっても美しいところ。
「新しい世界に連れていってあげられなくて、ごめんね……」
巨人がすまなさそうに言う。
首のないペンは、身体全体を使って否定した。
今日ここで見た世界を永遠に忘れない。
きっと、忘れない
――
ここは新しい世界じゃなかったけど。
それでも、とっても大切なものをくれたから。
とっても素敵なものを見つけたから。
幸せになれる世界は、確かにそこにあったから。
だから、ずっとずっと忘れない。


        どこからきたのか わからないの
        どこへゆくのか わらかないの

        どこへゆくのか わからないのなら
        ボクは 新しい世界にゆきたいの

        この世界はとっても怖いの
        違う世界にゆきたいの
        ずっとそう思うの
        新しい世界にゆけたら
        きっと幸せになれるの
        ずっとそう信じてるの

        ねえ ボクは新しい世界にゆけたよ
        シンビオスは ちゃんと連れていってくれたよ
――




        シンビオス――大好きな人
        名前をくれたの
        ボクのためだけの 美しい言葉をくれたの
        新しい世界へ連れていってくれたの


北の最果てにあるレモテスト。
ペンはぽてぽてと歩き、シンビオスを探していた。
(どこにいるのかなぁ)
お昼になって、強引に子ペンたちを寝かせてきた。
皆に「子ペン」と呼ばれているペンの子供たちはとっても元気だ。
ペンは世話に大忙しで、シンビオスに甘える暇もない。
シンビオスはシンビオスで忙しいし、ペンの所に来てくれても、子ペンたちに邪魔される。
親に似たのか、子ペンたちはシンビオスが大好きだった。
大勢でわあわあまとわりつき、ペンが入るすきまもない。
家族ができたのは嬉しいけど、それがちょっとした不満でもある。
(今までずーっとひとり占めできたのに……)
それはもう、甘えたい放題べったりくっつきまくっていた。
それが、今は全然傍に寄れない。
レモテストで子ペンたちに出会ってからというもの、ペンは欲求不満の毎日である。
その不満を解消すべく、子ペンたちを無理矢理寝かせて部屋を出たというわけだ。
それなのに、肝心のシンビオスが見つからない。
(建物の中にいないのかな?)
そう思った時、前から見知った人がやってくるのに気がついた。
鳴き声をあげると、相手も気づく。
「あらペン、どうしたの?」
真上から声が降ってくる。
でも、慣れればもう怖いものではなかった。
足音も巨大さも、もう怖くはない。
ただ、言葉が通じないのが不便ではあるけれど。
「クエッ?」
「???
 言ってること分からないけど、シンビオス様なら中庭に向かわれたわよ」
「クピッ」
通じてはいないだろうけど、お礼を言ってから歩き出す。
ペンがシンビオスになつきまくっているのは皆が知っているので、この相手もとりあえずシンビオスの居場所を教えてくれたのだろう。
ペンは動く巨大な足の間を上手くすり抜けながら、ぽってぽってと中庭へ歩いていった。


中庭に出ると、ひんやりと冷たい空気が全身をおおう。
普通の人間ならたまらず震えてしまうような寒さだが、光の祝福を受けたペンやシンビオスたちには、「ちょっと寒いな」というくらいのものでしかない。
きょろきょろと周りを見渡してみる。
シンビオスはいない。
足が雪に埋まって歩けないペンは、ぴょこんっ、と飛び跳ねながら前へ進む。
まっすぐ行くと、賢者の遺跡への入口がある。
光の遠征軍の鍛錬の場となっているそこへ入ったのかもしれない。
ペンはまっすぐ進んでいく。
その途中で、見慣れた鳶色を視界の隅に見つけて立ち止まった。
道を外れて少し奥へ行った所に、シンビオスがいた。
鎧姿ではなく、緑の上着に茶色のズボンという軽装で、赤いマントをはおったシンビオスは、大きい木の根元に座りこんで、幹に身体を預けている。
(シンビオス?)
じっと動かないシンビオスの所へ、できるだけ急いでぴょんぴょん跳ねて向かう。
まばらに立つ高い木の間を抜け、ちょっとした広場に出ると、先にいるシンビオスが眠っていることが見て取れた。
最後にぴょんっと大きく跳ねて、シンビオスの元にたどりつく。
シンビオスは目を覚まさなかった。
(つかれてるのかなぁ)
いつもなら、ペンに気づいて起きるのに……。
気配に敏感なシンビオスは、誰より早く全てを察知する。
くつろいでいようが寝ていようが関係ないその能力は、何をしていても、実は心の底ではいつも周りを警戒している証なのかもしれない。
くつろいでいても、本当に安らいではいない。
眠っていても、本当はどこかで意識は目覚めている。
そんな風に皆に思われているシンビオスだが、今は
――おそらくちょっと休憩するつもりで座ってそのまま眠りこんでしまったのであろう今は、思う存分睡眠を貪っているようだ。
ペンは起こすわけにもいかず、隣にちょこんと座った。
相手をしてくれればそれはもちろん嬉しいけど、こうして傍にいるだけでも幸せな気分になってくる。
シンビオスの周りはいつだって何かあたたかいものに包まれていて、とっても気持ちが安らぐ。
その優しい雰囲気に惹かれるように、自然とシンビオスの周りには人が集まった。
今だって、
「おや、あれはシンビオス殿じゃないか?」
「本当だ、ペンもいる。
 何やってんだ?」
メディオンとジュリアンを皮切りに、だんだんと隠れたこの場所に人が集まってきた。
誰もが「シンビオスだ」と口をそろえてやってくるのを見て、ペンは思わず笑ってしまう。
(なんだかこどもみたい)
でもそれはペンだって同じだ。
そのことに気づいて、ペンはますます楽しげに鳴いた。


「しっかし、よく寝てるなぁ」
ジュリアンの言葉に、集まった皆が頷いた。
10人とちょっとが周りにいるのに、シンビオスは一向に目覚める様子がない。
「お疲れでいらっしゃるのですね」
イザベラが皆の気持ちを代弁した。
レモテストに来てからのシンビオスはそれはもう忙しくて、他の皆だってそれなりに忙しいはずなのに申し訳なく思えるほどだった。
シンビオス軍の指揮官にして、伝説のジュメシンの一人。
アスピニア共和国の最強の将軍にして、フラガルドの唯一絶対の領主。
この光の遠征軍の中で、シンビオスほどいくつもの重たい肩書き
――責任を背負うものがいるだろうか。
そのため、シンビオスの毎日は分刻みどころか秒刻みだ。
朝は指揮官としてメディオンやベネトレイム、総指揮官のジュリアンと戦略を練り、昼からは賢者の遺跡でシンビオス軍の訓練に励む。
夕方はプロフォンドやスピリテッドとなにやら難しい政情に談義を咲かせ、夜からはパルシスに教えを乞うて政務の勉強。
それは真夜中まで続き、夜明け前の早朝からは、わざわざ非戦闘要員として連れてきたフラガルド仕官に、フラガルドの実情や父コムラードが行ってきた政策を聞き、これからの方向性を話し合う。
いつだって起きているシンビオスに、「いつ寝てるんだ?」と心配になって聞けば、「2時間ぐらいかな」とますます心配になる答えが返ってくる。
イザベラの言ったことは、全くもって核心をついていた。
「まだお身体は本調子とはいえないのに……」
ダンタレスやマスキュリン、グレイスが不安げに顔を見合わせる。
氷づけにされて瀕死状態になってからまだ1週間しか経っていない。
治癒効果の高い温泉に入ったとはいえ全快するわけもなく、今は気力だけで動いているにちがいない。
そんなシンビオスだから、今ぐっすり眠っているのを邪魔したくない気持ちは皆一緒だ。
くつろぎながらも息をひそめて、眠るシンビオスを見守っていた。
ふと、スピリテッドが何かに気づいて手をあげる。
「あれ……」
「え?」
皆がスピリテッドが指差す先
――ペンの反対側、シンビオスの左を見た。
投げ出された左足の横に、半ば雪に埋もれるように剣が置かれている。
「あのままでは、剣帯が濡れてしまうのではないか?」
「それもそうだな……」
剣を腰に佩くために使うその部分は、鞘とは違って皮製である。
濡れると、水を含んで伸びてしまうし、下手をすれば腐食して切れてしまいかねない。
「私が持っていよう」
シンビオスに近づくメディオンに、ジュリアンが「起こすなよ」と注意する。
メディオンはひとつ頷くと、音を立てないように静かに屈んで、剣に手を伸ばした。
皆が見つめる中、ゆっくりと剣を持ちあげる。
――
「あっ」
「なんだよ?」
動きを止めたメディオンを訝って、皆が近寄る。
ペンも踏まれないように気をつけて、反対側へまわった。
皆が覗きこむ先に、2つの手に掴まれている剣があった。
ひとつはメディオンの手、そしてもうひとつは……シンビオスの手だった。
シンビオスの左手が、剣をしっかりと握っている。
「…………」
なんとも言えず、無言で顔を見合わせた。
と、冷気を含んだ風がびゅうっと走り去り、皆してぶるっと震える。
「とりあえず、火でも焚きませんか?
 風邪をひいてしまいます」
そろそろ夕方にさしかかり、心なしか寒さが増しているような気もする。
皆はキャンベルの提案にもっともだと合意して、薪を集めに散らばっていった。
することのないペンは、皆の代わりとばかり、眠るシンビオスをじっと見守る。


「本当によく寝てるなぁ」
またジュリアンが言う。
パチパチと火がはぜる音がしても目覚めない。
ここまで熟睡されてしまうと、周りはかえって心配になってくるものだ。
寝息を確認してようやく安心すると、火を囲むように輪になって座った。
そうして落ちつくと、皆の視線は自然と剣を握りしめているシンビオスの左手に集まる。
心配になるほどよく眠っているのに、それでも剣を手放さないシンビオスが、痛くて切なかった。
そういえば、とグラシアが口を開く。
「氷づけにされていた時も、剣を握っておられました」
「彼がゆっくり休める時はあるのだろうか?」
遠征中の今も、全てが終わった後も……。
メディオンの独り言に、ジュリアンが肩を竦める。
「ないだろうな。
 こいつはずっと走り続けなければならないだろう」
そう、全てが終わっても、シンビオスの何が終わるわけでもない。
ジュメシンの使命を果たせば、今度こそ領主としてその全てをフラガルドに捧げる、それだけだ。
「ドルマントで言ってたぜ。
 俺が『氷づけになってゆっくり休めただろう?』って聞けば、『色々な
 ことを少しはゆっくり考えれたよ』だとさ。
 こいつが本当に休める時があるとすれば、それは……死んだ時だろうな」
その時こそ、何も考えずにゆっくり眠れる。
「死ぬ」という不吉な言葉に、皆がぎょっとする。
特に、ダンタレスやマスキュリン、グレイスらの動揺は激しかった。
「ジュリアン……!!」
目に涙を浮かべて非難するマスキュリンを見て、ジュリアンははっとする。
ほんのひと月ほど前に、シンビオスの父コムラードが、まさにジュリアンの言った通り、走って走って走り続けて、そして走り疲れて死んだのだった。
それも、シンビオスたちの目の前で。
ジュリアンは己の失言に気づいて、「悪い」と手をあげた。
それでもまだ泣きそうな顔をしているマスキュリンに、安心させるように微笑んだ。
「いいんだよ、それでも。
 こいつがそれでいいって思ってるんだから。
 誰か、こいつが文句言ってんの聞いたことあるか?
 グチったり、嫌がってたりしてんの見たことあるか?」
マスキュリンが首を振る。
「な、だからいいんだよ。
 確かに最初は無理矢理背負わされた責任かもしれない。
 けど、今はシンビオス自身が進んで
――喜んで背負ってるんだ。
 でなきゃ、あんなに頑張れないぜ」
ジュリアンは聞き入る皆を見渡しながら話したが、最後にシンビオスを見て言う。
「こいつは本当に強いやつだから。
 今はちゃんと笑ってるから。
 大丈夫だよ」
その言葉に、ペンも頷く。
脳裏にありありと、あの美しい風景とそれを一緒に見た自分とシンビオスを思い浮かべる。

   『見てごらん、ペン。
    世界はこんなに美しいんだよ
――

そう言ったシンビオスの言葉の方が美しかった。
シンビオスこそが、本当に美しかった。
(あんなにきれいなんだもの)
あんなに美しい言葉を言えるのだから。
綺麗な緑の瞳は前を見つめてキラキラと輝いていたから。
そんなシンビオスが、今の世界に倦んでいるはずはないから。
あの時のペンみたいに、新しい世界に行きたいと思ってはいないから。
(だから、だいじょうぶ)
「クエッ」と同意にひと鳴きしたペンを、ジュリアンがポンッと
――ペンにとってはベシッと叩いた。
「ほら、ペンだって同意してるみたいじゃないか」
そして、どこか重苦しい雰囲気を振り払うようにおどけて言う。
「ああもう、難しいこと考えんのはやめようぜ。
 俺たちまでシンビオスになってどーすんだよ。
 今はこのお姫様がゆっくり眠れるように見守ってりゃ、それでいいだろ」
「そうですわね。
 ……そうだわ、せっかくだから歌を歌いましょう。
 シンビオス様が安らかな夢を見れるような、そんな歌を」
自分の思いつきに顔を輝かせたヘドバが、いつも肌身離さない竪琴を持って、いそいそと手近な大木を登っていく。
皆は、(なんでいちいち木に登るんだ?)と疑問に思ったが、するすると危なげなく登っていくその姿は、なんとも森エルフらしかったので、まあ本能みたいなものだろうと納得した。
ヘドバは皆からよく見えるせり出した枝に腰を落ちつけると、ゆっくりを竪琴をかまえ、爪弾いた。
しばらくして、澄んだ歌声を響かせる。

   新しい世界 悲しみもなく悩みもない場所
   願ったあの頃 誰もが輝きに満ちあふれてた

   心に望めば 叶わないこと何ひとつもない
   そんな風に信じあえた 夢見ていた箱舟

   この広すぎる空に浮かんだ 一粒の希望
   脆く壊れやすい愛で 全てを包んでいた

皆が上を向いて聞き入っていた時、また一陣の風が吹いた。
ぴくんっと震えたペンが、あたたかいものにふんわり包まれる。
ペンが見ようとするより早く、寒くないように赤いマントにくるまれたペンを、抱き上げて膝の上に座らせてくれる。
「クピッ」
嬉しくて、ペンは思わず鳴いてしまった。
その鳴き声に気づいて、皆の視線が地へ降り、こちらへ向けられる。
そして、嬉しそうな反面、どこか悲しげな顔をするのだ。
ペンも少しの痛みが心を走ったのを自覚した。
(もっと眠っていてほしかったのに……)
気がすむまで、ゆっくりと休んでいてほしかったのに……。
思う気持ちは皆一緒だったろう。
ヘドバも歌うのをやめて、驚きの中にすまなさそうな表情を含ませる。
でも、シンビオスが穏やかに笑っていたので、安心したようにヘドバはまた歌いだす。

   未来を探して 迷った時に思い出したのは
   あの人の言葉 無邪気に笑いあえた箱舟

   今 眠れない闇に彷徨い くじけそうな夜
   熱い想い抱いたあの頃 胸の中くり返す

「素敵な歌だね……」
ため息のようにひそやかに呟かれたシンビオスの言葉に、ペンは頷いた。
やがて最後の音が弾かれると、一拍おいて惜しみない称賛の拍手が送られる。
それに微笑みで応えたヘドバは、ふとはるか遠く、沈みゆく夕陽を見つめて感嘆の表情を浮かべた。
(なにをみてるのかなぁ)
髪も頬も夕陽色に染めて顔を輝かせるヘドバは、今ペンたちとは違う世界にいるのだろう。
「クケッ。
 (ねえ、シンビオス)」
「なに?」
「クピクケッ。
 (ヘドバはいまどんな世界をみてるのかなぁ。
  ボクにはみえないけど、とってもきれいな世界なんだろうね。
  だって、とってもしあわせそうなかおしてるもの。
  みんな、そうやってしあわせになれるところをさがしているのかな)」
ペンが違う世界にゆきたいと願ったように。
きっと、誰もが幸せになれる新しい世界を探している。
と、いきなりシンビオスが立ちあがり、ペンを抱えて今までもたれかかっていた木を登り出した。
「シンビオス様!?」
ダンタレスが仰天した声を上げる。
他の皆は驚愕に声も出せない。
一体誰が、あの冷静沈着で理知的なシンビオスが木登りをするだなんて思いつくだろう。
凍りついた皆を下に残して、シンビオスは慣れた身のこなしで木を登り、中ほどの枝に座った。
「シンビオス様、何やってんですかっ!?」
「危ないですよ!!」
ダンタレスやマスキュリンが叫ぶ。
フラガルドの3人にあまり驚きの色が見られないのは、やんちゃだったシンビオスの幼少時代を知っているからだろう。
ダンタレスは、時が戻ったような錯覚を感じながら、叱りつけるように言う。
「シンビオス様、降りてきてください!!」
「やだよーだ」
シンビオスは聞き分けのない子供のように答えて、足をぶらぶらさせてべーっと舌を出す。
「シンビオス様っ!!」
「あはははっ」
たちまち怒鳴り声と化して返ってきたダンタレスの声に、シンビオスは屈託のない笑い声を上げた。
タガがはずれたように普段とは違いすぎる
――でもいつもよりもはるかに年相応の少年らしいシンビオスに、皆は唖然として顔を見合わせた。
どの顔にも戸惑いが隠せない。
しばらく無言で見つめあっていたが、お互いの驚きのあまり夢見ているような表情がおかしくなって、誰ともなく笑い出す。
馬鹿面をさらしていた自分達もおかしかったし、遠征軍の中で下から数えた方が早いような年若いシンビオスを、まるで誰よりも大人のように思っていた認識もおかしかった。
くすくす笑いあう皆を見下ろして、シンビオスが言う。
「皆もおいでよ」
皆は困惑したように見上げたが、楽しげにキラキラ輝く緑の瞳に吸い寄せられるように、やがて我先にと木に飛びつく。
「ちょっと、何やってんですかー!?
 おい、マスキュリン、グレイス……」
ダンタレスが混乱して叫ぶ。
あのグレイスが、という心境で、頭を抱えた。
傍らでは、キャンベルも真っ青になって叫んでいる。
「メメメメディオン様!? イザベラ様ぁ!?
 ああぁ、グラシア殿までっっ」
恥じらい深い清楚な王女も、おとなしい物静かな神子も、メディオンやジュリアンに助けられながら上へ登っていく。
木に登れないケンタウロスの2人は、悪い夢を見ているような心地で、よろめく互いを支えつつ、やきもきと上を見上げていた。
そんな2人を見下ろして、また皆が笑い声を上げる。
はしゃぎ声が木々の間を抜けて、空まで昇って風にさらわれていく。
まるで、現実とは切り離された幻のよう。
楽しげに笑いさざめく皆の様子に、いつしかダンタレスもキャンベルも笑顔を浮かべていて。
ペンもシンビオスも、こらえきれずに大笑いする。
それは、とっても幸せなひと時。
皆が幸せになれた瞬間だった。
「おお〜っ、すげぇな」
ガキ大将よろしく木のてっぺんに登ったジュリアンが叫ぶ。
「なんて綺麗なんでしょう」
「うわぁ……」
初めて木登りをしたイザベラとグラシアが、感激の声を上げる。
大きな木に頼りない身を寄せて、そうして見る世界は雄大だった。
どこまでも続く雪原に、夕陽があたって赤い光を反射する。
銀と赤の、不思議の世界。
空は真っ赤な色から、だんだんと優しい黄昏色へと姿を変えていく。
赤と青の、神秘の世界。
眼下に沈む夕陽は、全てがひとつになった等しく小さい世界の中で、まばゆい光を放っている。
皆は声もなくその遠大な世界に魅入った。
「クピィッ。
 (きれいだねぇ)」
「うん、世界は美しいね」
「クケクッ。
 (ボク、しあわせだよ)」
「……新しい世界にいなくても?」
「クピクピッ。
 (ううん、ボクはちゃんと新しい世界にいるよ。
  あのとき、シンビオスがつれてきてくれたの)」
シンビオスがゆっくりとペンを見る。
その、綺麗な緑の瞳。
「クピクケクッ。
 (シンビオスがおしえてくれたの。
  あのときに、新しい世界をみつけたの)」
分からないと首を傾げるシンビオスに、甘えるようにすり寄った。

          新しい世界
          悲しみもなく悩みもない場所
          幸せになれるところ
          誰もが探している世界

シンビオスに甘えながら、ペンは夕世界を見た。
今、皆と同じ世界を見ている。
同じ
――でも、ちょっとだけ違う、ペンだけに見える世界を。
顔を輝かせるヘドバを見て、何を見ているんだろうと思った。
夕陽に全身を染める、この世界にゆきたいと思った。
それは口に出したわけじゃない。
ただ、心に望んだだけ。
でも、シンビオスは分かってくれる。
いつだって願いを叶えてくれる。

          シンビオス
――
          美しい言葉をくれたの
          綺麗なものをくれたの
          新しい世界を見せてくれたの
          そして 幸せをくれるの

「クピッ。
 (シンビオス、だぁ〜いすきっ)」


          緑の瞳はとっても綺麗で
          傍にいるだけで安らいで
          そうして 幸せになる
          いつだって 幸せになれる

          世界はとっても怖かったの
          違う世界にゆきたかったの
          ずっとそう思ってたの
          新しい世界にゆけたら
          きっと幸せになれるの
          ずっとそう信じてたの

          綺麗な緑の瞳が見えるところ
          幸せになれる場所
          大好きなシンビオスの傍
          ボクの 新しい世界
――

          「見てごらん、ペン。
           世界はこんなに美しいんだよ
――














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どれだけ読後に受けた感動を訴えようとしても、自分の陳腐な言葉では埋めることができない。
ただただ号泣です・・・油断すると涙腺緩んできます。SF3の世界の素晴らしさを見事に凝縮された作品に拍手喝采を。
未だにこんなすんばらしい小説が今自分の手元にあるなんて信じられないです。夢なら一生覚めないで欲しいと心の底から思いました。
みよどりさん、本当に×∞ありがとうございました!