この世界はとっても怖いの
違う世界にゆきたいの
ずっとそう思うの
新しい世界にゆけたら
きっと幸せになれるの
ずっとそう信じてるの
「見てごらん、ペン。
世界はこんなに美しいんだよ――」 |
新しい世界〜そうして 幸せになる〜
どこからきたのか わからない
どこへゆくのか わからない
生まれて初めて見たのは、巨大な「何か」だった。
(なんだろう、これ?)
実は人間の足だったりするのだが、生まれて10秒のペンにそんなことは分からない。
上に伸びている「それ」を追って、目線をあげていく。
だが、「それ」はとんでもなく長かった。
ペンには首がないため、そっくり返って見上げることはできない。
向けるだけ上を向いたが、まだ「それ」に終わりはなかった。
(どこまでつづいているのかなぁ……)
ペンの世界からは、「それ」の頂上は見えなかった。
「おやまあ、孵っちまったよ!!」
いきなり耳をつんざく大音声が真上から降ってきて、ペンはびっくりして文字通り飛びあがった。
「ピッ!?」
「いやだよ、ゆで卵にするつもりだったのに……。
しかし、なんだいこりゃ、ペンギンかい?
ペンギンが卵を産むとはねぇ」
轟くような大声に、ペンはびくびくして後ろに下がる。
すると、ふいに陰が落ちてにゅっと何かが降ってきた。
人間が手を伸ばしたのだが、ペンには巨大な物体が落ちてくると感じる。
(つぶされちゃう!!)
恐怖に小さな心臓をどきどきさせて、一生懸命に逃げる。
だが、なぜかその物体は後を追ってきた。
「クピッ、ピギ〜ッ!!」
巨大な動く物体は、全速力で逃げまわるペンをあざ笑うかのようにゆっくりと近づいてくる。
ペンが最初に見た「それ」が動くたびに、ズシンズシンと地響きが伝わってきて、ペンの動きを困難にさせる。
「ああもうっ、ちょろちょろおしでないよ!!」
先程よりもはるかに大きな、しかも苛立った声が聞こえて、ペンは絶望に目の前が真っ暗になった。
(こわい……ボクはどうなるの?
なんでこんなところにいるの?)
わからない、なにも。
こわい、こわい――!!
恐怖にポロポロと涙をこぼしながら、ペンは必死に逃げる。
ふいに眩しい光が見えて、迷わずそこから外へ飛び出した。
後ろから呪うような声が聞こえる。
「逃がしちまったよ!!
珍しそうだから、高く売りつけようと思ったのにさ」
何を言ってるのか分からなかったが、とにかくペンは怖くて怖くて、ふり向きもせずに一目散に走り去った。
どこからきたのか わからないの
どこへゆくのか わからないの
どこへゆくのか わからないのなら
ボクは 新しい世界にゆきたいの
あれから2週間後、ペンはどこかの町外れの木の根元にいた。
無我夢中で走り続けて、気づいたらそこにいた。
だが、ペンの恐怖は去らなかった。
あの時と同じ巨大な動く物体は、世界にたくさん巣くっていた。
小さなペンからは足の膝までしか見えないその巨大な生き物は、我が物顔で自分勝手に動き回り、ペンの世界を簡単に恐怖に染める。
ズシンズシンと伝わってくるその足の震動が怖い。
雷が落ちるようなその声が怖い。
ペンが逆立ちしたってかなわないその巨大さが怖い。
生まれてから2週間の間にペンが知ったのは、自分がとても無力でちっぽけなこと。
大地は広く、空ははるか高く、巨人のただの1歩が自分にとってはとても遠いということ。
自分よりも広く高く、大きく遠いものばかり。
それが、今のペンの世界。
そして、自分の言葉を理解してくれる生き物はおらず、ペンはこの怖い世界に独りぼっち……。
ペンは木の根元に隠れるようにして、ぶるぶると震える。
(ボクはどこからきたのかな。
ぼくのなかまはどこにいるのかなぁ……)
きっとどこかにいるはず、自分と同じ形をして、言葉が通じる仲間。
ペンはころんと寝転がった。
木の枝も葉もとても高くて、青空はもっともっと高い。
ペンには手が届かないところ。
ペンは木のてっぺんを見つめた。
(あそこにいけたら、違う世界にいけるの?)
新しい世界はあるのだろうか。
仲間はいるのだろうか。
でも、ペンは木を登れない。
ペンは空を飛べない――。
ペンはため息をつく。
「クピー……。
(いきたいなぁ)」
「どこに?」
「クピッ。
(新しい世界に)」
「新しい世界?」
「ピギー。
(どこにあるのかなぁ)」
「君、名前なんていうの?」
「クケッ?
(なまえ……?)」
そんな言葉は知らなかった。
そこで、やっとペンは知らぬうちに誰かと話していたことに気づく。
驚いて飛び起き、慌てて声のする方を向く。
そこに、巨人がいた。
近くにいるので、腰のあたりまでしか見えない。
確かに巨人。
でも何かが違う。
ズシンと響くあの足音を感じなかった。
耳がつぶれそうなあの大声も聞こえなかった。
おかしいなぁ、とペンは不思議に思う。
人間は普通に話しているつもりでも、小さいペンにはそれがひどく大きな声に聞こえる。
それなのに、この巨人の声はペンには普通に聞こえた。
小さなペンを意識して、声を抑えてくれたのだろうか。
それは、生まれて初めてのこと。
そう、それにこの巨人はペンの言葉を理解してくれる。
(いつものおっきいのとはちがう?)
そう思いつつ、それでも過去の体験から怯えて震えが走るのを止められなかった。
「どうしたの?」
巨人が1歩踏み出し、ペンに近づく。
迫られる圧迫感に、ペンがびくっと飛びあがって後ずさる。
すると、巨人はゆっくりと数歩下がった。
その時も、地震のような足音は感じなかった。
未だびくびく怯えるペンの前で、巨人はことさらゆっくりとした動きで地に膝をつく。
「何もしないから大丈夫。
怖がらなくていいんだよ」
優しい声に、ペンの身体から緊張がとれる。
膝をついてはくれたが、まだ顔は見えない。
(どんなかおをしてるのかな?)
この、自分の言葉を理解する不思議な巨人は……。
「君の名前は?」
「クケッ?
(なまえ?)」
「名前がない……知らないの?
名前というのはね、その者のためだけにある美しい言葉だよ」
「クピピ……。
(ボクにはないの?)」
「名前は誰にでも授けられるものだよ。
うーん……君はペンギンに似てるから、『ペン』って呼ぼうか。
そう呼んでもいい?」
「クピッ?
(『ペン』?)」
「そう、君の名前。
君のためだけの、美しい言葉」
(ボクのためだけのことば――なまえ?)
ペンは目をパチパチさせた。
「ねえ、ペンはどうして新しい世界に行きたいの?」
「クケケッ。
(この世界がイヤだから、違う世界にいきたいの)」
「どうして嫌なの?」
「クピ、クピクピッ。
(この世界はとってもこわいの。
おおきないきものにおどかされるの)」
「大きな生き物って……私たちのこと?」
「ピギー、ピギッ。
(だって、じめんをゆらしたりおっきなおとをたてたりするもん。
ふみつけられそうでこわいの……)」
そう言って、ペンはポロポロと涙を流す。
「クピー……。
(違う世界にいきたいの。
そこでしあわせになるの)
「そんなに今の世界にはいたくないの?」
ペンは手をバタバタさせて肯定する。
「それなら、私が連れていってあげるよ」
「ピッ?」
「新しい世界に連れていってあげる。
……見たい?」
「クピクピッ」
「じゃあ、目を閉じていて」
言われ、ペンは素直に目を閉じる。
話しているうちに、恐怖も怯えも消え去っていた。
この巨人の穏やかな雰囲気がそうさせたのかもしれない。
しばらく待っていると、草を踏む音が聞こえ、巨人が近づいてきているのに気づいた。
びっくりして目を開けようとするペンを、すかさず巨人が制する。
「駄目だよ、新しい世界が逃げちゃう」
その言葉に、開きかけた目を閉じる。
ふわっと何かにくるまれたと思うと、いきなり平行感覚がなくなった。
「ピッ!?」
「揺れるけど、ちょっと我慢しててね」
どうやら巨人に持ち上げられて、どこかに運ばれているらしい。
どこかへ……新しい世界へ――。
(どんなところかなぁ)
新しい世界は……。
見たことがないところ?
夢のようなところ?
今とは全然違うところ?
きっとその全て。
(そこにはなにがあるのかな)
美しいもの?
綺麗なもの?
素敵なもの?
そこに幸せはある?
目を閉じてわくわくしているペンを抱え、巨人はどこかへ向かってゆく。
ペンを新しい世界へ連れてゆく。
やがて、ペンに平行感覚が戻った。
巨人が止まったのだろう。
(新しい世界にきたの?)
とうとうたどりついたの?
「さあペン、目を開けていいよ」
促され、そうっとまぶたを上げていく。
「クピィッ……」
目の前に広がる光景に歓声を上げる。
ペンは木の上にいた。
見上げるだけだった木のてっぺんにいて、枝に腰掛ける巨人の膝の上に座っていた。
落ちないように赤いマントにくるまれて、巨人にしっかりと抱えられている。
そうして、ペンは新しい世界にいた。
「クピッ、クケクケーッ!!
(すごい、ボク新しい世界にいるよ!!)」
大地が続く――足元からどこまでも。
おもちゃみたいな木箱が、長い道の上を動いている。
「クケッ?
(あれなに?
くろいものだしてるの)」
「ああ、あれは汽車っていうんだよ。
私たちが乗るものなんだ」
(このおっきいひとたちがのるの?
あははっ、でもあんなにちっちゃいや)
ペンよりも全然ちっぽけな乗り物。
走るスピードだってすごく遅い。
さっきからちっとも進んでやしない。
ペンは道の先を見て、そしてびっくりする。
「クケクッ!!
(あぶないよ、あのきしゃおちちゃう!!
あながあいてるもの)」
道は途中で途切れていた。
いや、道どころか、壮大な大地までもがなくなっている。
「大丈夫だよ。
あれは地平線っていってね、今のペンの世界の果てなんだよ。
ペンの世界では終わりでも、他の世界ではちゃんと続いてる。
あの途切れた向こうにも、大地は広がっているんだ」
「クピッ?
(どこまで広がっているの?)」
「望む限り、どこまでも」
その答えにペンは笑う。
そう、どんな世界だって創れる。
心に望めばいい。
ペンは空を見上げた。
すいこまれそうな青空は、はるか足元の大地よりも近く感じた。
昔の世界では目の前は大地だったのに、今は空が見えて、ずーっと遠くの眼下に地平線がある。
なんて遠くまで見渡せる世界だろう。
(ボク、おそらにいるみたい)
ペンは手をバタバタさせてはしゃいだ。
そう、ここはまぎれもなく新しい世界。
今まで見たことなくって、夢のようで、とっても素敵なところ。
「クケクケッ。
(ボク、ずぅっとこの世界にいたいの)」
「ペン……そうじゃないよ」
「クピ?」
「ペンは今も、同じ世界にいるんだよ」
「ピギー……。
(ボク、新しい世界にいけないの?)」
たちまちしゅーんとなるペン。
今にもつぶらな瞳から涙をこぼしそうな様子に、巨人は慌てて「そういう意味じゃないんだ」と言って、ひょいっとペンを抱き上げて目を合わせる。
視界に飛び込んできた緑色に、ペンの意識は吸い寄せられた。
(なんてきれいなんだろう――)
瑞々しく、すき通った緑……。
透明な緑色だなんておかしな色だけれど、でもそんな感じ。
瞳の底まで見えそうなくらいすき通っていて、でもとってもあざやかな色。
ペンが生まれてから今までで、いちばん綺麗なもの。
その瞳で、どんな世界を見ているの?
惹きつけられたペンは、悲しみも忘れて魅入った。
そんなペンに気づいているのかいないのか、巨人は話を続ける。
「ペン、確かにここは新しい世界かもしれない。
でもね、君は今までここで生きてきたんだよ」
「ピッ?
(ここで?)」
「そう、そしてこれからもここで生きていく。
この大地と空がある、この世界でね。
前の世界も新しい世界も、元はひとつの世界なんだよ」
(ひとつの世界……ボクが生きてきたところ)
足下を見る。
確かにそこで生きていた。
全てが大きく狭かった世界があそこにはある。
そして、新しい世界――。
全てがとても小さくて、でもはるかに雄大な世界。
全てが等しく、全てがひとつになった世界。
その中で、ペンは変わらず生きている。
同じ大地の上で。
同じ空の下で。
「クピクピ?
(ボクは違う世界にきたんじゃないの?
それなら、これからもずっとしあわせになれない……?)」
「そんなことないさ。
見てごらん、ペン」
再び膝の上に座らせてもらい、前を向く。
そこには、あの美しい世界。
新しい――でも、ペンが今までいた世界。
「悲しまなくてもいいんだよ。
どうして悲しむ必要があるの?
世界はこんなに美しいのに」
「クケッ。
(ボクがいた世界も?)」
「そうだよ、だって同じ世界なんだから。
もう前の世界を嫌わなくてもいい。
世界は怖いだけじゃない。
だって、ほら……見てごらん、ペン。
世界はこんなに美しいんだよ――」
ペンは世界を見つめた。
たったひとつ、ペンの世界。
ペンが見る、ペンにしか見えない、ペンだけの世界。
前と、同じところ。
でもとっても美しいところ。
「新しい世界に連れていってあげられなくて、ごめんね……」
巨人がすまなさそうに言う。
首のないペンは、身体全体を使って否定した。
今日ここで見た世界を永遠に忘れない。
きっと、忘れない――。
ここは新しい世界じゃなかったけど。
それでも、とっても大切なものをくれたから。
とっても素敵なものを見つけたから。
幸せになれる世界は、確かにそこにあったから。
だから、ずっとずっと忘れない。 |
どこからきたのか わからないの
どこへゆくのか わらかないの
どこへゆくのか わからないのなら
ボクは 新しい世界にゆきたいの
この世界はとっても怖いの
違う世界にゆきたいの
ずっとそう思うの
新しい世界にゆけたら
きっと幸せになれるの
ずっとそう信じてるの
ねえ ボクは新しい世界にゆけたよ
シンビオスは ちゃんと連れていってくれたよ―― |
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